ウォーキングレポート



比叡山
今回は、比叡山をウオーキングで古寺を訪ねながらのレポートです。なかでも、親鸞聖人から何かを得ようと探索。スケッチをしながらのレポートを紹介。


akkoレポーター

親鸞年表

●比叡山walk
過去に比叡山には2度いっている。2度とも坂本からケーブルにのり根本中堂(西塔)あたりをぐるっとまわりまたケーブルで降りるだけのコースであったから比叡山のごく一部である。今回の旅は今も昔も僧侶養成機関として多くの聖人、上人たちを輩出しているこの山の歴史的側面を自分なりに勉強して歩いてみることにした。そのなかでも 特に親鸞にスポットをあて聖人がたどった道をふりかえりゆかりの寺めぐりをしてみることに。
今 なぜ 親鸞か?
親鸞 名前だけは良く知っているものの 仏教の知識も皆無.そんな時ある人から勧められた本を読むうちに 親鸞が妻帯していたこと、当時の公家社会という歴然と序列がある社会において 誰も平等であり人間はみな悩み多き 煩悩の夫であると説いたその思想は800年経った現代においても通じる真理を持っているのではないか 深く知れば知るほど あの時代において生きた親鸞の すごさに興味がわいてくる。
●コースとタイム
横川中道11:00:峰道P12:00〜青龍寺12:30
第三P 13:30〜大乗院 14:00
京都市内:安養寺15:30〜青蓮院16:30:六角堂 17:00

 
●ひときわ静謐な修業の地 横川
よかわ(横川)と読む。横川Pに車をおき 中道まで約10分歩く,
ここは比叡山
延暦寺三塔のなかで一番北に位置するところでひとしお霊峰の感がする。中道は慈覚大師によって開かれ 親鸞をはじめ日蓮,道元、源信などの名僧と呼ばれた人たちが修業に入った地。なかでも横川中道は朱の色もあざやかな 舞台つくりの立派な建物である。紅葉もきれい。下から歩いてきたというおじさんもいた。すぐ近くにはおみくじの元祖といわれる元三大師の住居跡の元三大師堂もある。

ひっそりとたたずみ訪れる人も少ない青龍寺
横川から車を峰道バス停まで走らせ親鸞の師法然が修業したといわれる青龍寺へ。峰道Pに駐車し黒谷とよばれる杉や檜の木立のなかの谷を下に下に下りること30分。最後256段の階段(行きはよいよい帰りがこわい)を下りきったところにひっそりと青龍寺はあった。いかにも歴史を感じさせる古い寺である。若者5,6人にいきあったがここまで来るにはきっと史学か仏教を学ぶ学生ではないかと思わせるほど人気を感じさせない佇まいである。あいにく本日は閉門という案内がしてあり寺のなかは残念ながら見ることは出来なかった。同行者は、なんの根拠もないのにこの寺はきっと尼寺に違いないといっていたがもしかしたらそうであるかも。というのは法然上人の像が建立された折の碑文を読むと建立に感涙した老尼と書いてあるくだりがあったからである。留守のためたしかめることができなかったが 留守番の人なっこいワンちゃんが我々を見送ってくれた。


親鸞居住跡 大乗院をたずねて
奥比叡ドライブウェイの第一parkingをすぎるとトンネルに入る。そこを抜けたすぐのところに第二第三のPがあり 車をおき 大乗院を訪ねた。大乗院への道は坂本ケーブルの比叡山駅の南側の道を下りてゆく。傾斜がきつい。しかし青龍寺とは違い南にあるためか明るい雰囲気がする。お参りに訪れる人も多いいようだ。20〜30分は歩く。大乗院は 思ったよりこじんまりとしている。中に入ると8歳で得度をしてからの親鸞の変遷が絵にしでかかげられていた。同行者は 仏壇の前でそらんじている 歎異抄の第1章をとなえはじめ 驚く。わたしと言えば ただただ南無阿弥陀仏を心の中でとなえ 「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」の有名な一節を思いながら悪人です.お許しをと願う。しかし親鸞と言う人はいったい山伏のような男性ではなかったかと考える。京都までの14キロの道を お勤めがおわってから100日も六角堂に参るとは。今から800年も前にである。難行苦行がしのばれる。大乗院への道はいまも 毎朝掃き清められるのだろう。ホウキの流れがくっきりとジグザグ模様をうきだたせ美しい。修業をかいま見た気がした。


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