ウォーキングレポート

 
NO.2

 

心を安んじ 身を養うーしずかな 安養寺
有名な知恩院のある円山公園周辺は人の行き交い多く 京の都の賑わいを感じさせるところである。そんな円山公園の喧騒をはなれた東のはずれに安養寺をみつけた。知恩院のような一般的に名の知れた寺ではなく法然が庵をむすび静かに心やすけく暮らしたと思わせる寺だった。安養とはまた 極楽浄土の別名でもあるらしい。しかしこの寺において時の権力により法然教団の幹部が念仏者にたいする弾圧をうけ死傷者をだしたともいう。吉水(よしみず)とよばれるこの地で法然が草庵を開き
親鸞が 六角堂において聖徳太子のおつげによりここをを訪ねたとされる。法然の教えを至上のものとし 以後の
親鸞の生き様を決定ずけるところになった場所である。



円山公園
●親鸞 出家の寺 青蓮院
知恩院の広大な敷地に隣接する青連院は 粟田御所としての機能もあったのか風格があり その風格を演出するがごとくに 門の内外の巨大なクスの木が、我々を迎えてくれる。地を這うものすごい根っこ。いったい樹齢はどのくらいだろう。親鸞はここで8歳のとき出家(得度)したという。幼い親鸞の出家姿をこのクスノキは見ていたのだろうか。だとすれば軽く800年の時を数えている。親鸞が出家のとき詠んだ
 「明日ありと思う心のあだ桜 夜半の嵐の吹かぬものかは」
の歌を読むとき年端もいかぬ子供親鸞はいったいどんな心情だったのか
なんとはなしに物悲しくおもうのは自分の親としての感情なのかもしれない。青蓮院の庭にたたずんでそんな思いにとらわれた。


暮れなずむ 六角堂にたちて(頂法寺)
今回の旅の終わりとなる 四条烏丸の 六角堂についたのは もう日が西にかたむき 5時閉門間際であった。それでも勤め帰りだろうかお参りの人がひっきりなしに訪れていた。ここは聖徳太子が建てた日本最初のお寺としても(頂法寺)有名である。本尊は如意輪観音であり太子はこの観音様の化身として崇められ現代においてもなお多くの人々をひきつけるのだろう。親鸞はここで 自分の進むべき道を示させ給えと100日間も太子に祈願した。そしてついに 吉水の法然を訪ねよとの示現を得 法然を生涯の師と仰ぎ 比叡山に別れを告げ 波乱の人生の幕開けとなった場所である。

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